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2013年10月24日

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

いつも朝市に来てくださるお客様にお知らせです!

11月19日(火)の朝市はいつものアツミさんからワープしてみみずっこファーム(豊川市ぎょぎょランド付近)で行います!!
そして、みみずっこファームのサツマイモをみんなで掘って楽しもう(^◇^)って感じのことをやります
注)ネコは来ません

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

そんでもって、掘った芋をみんなで焼いて、食っちまおう!ってなこともやります!!!
注)ネコは来ません

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

当日は10時くらいにぎょぎょランド駐車場に集合後、畑に移動して、芋ほり→焼き芋の予定です
注)ネコは来ませんが、私の車のハンドルにはこれとよく似た絵が貼ってあります

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

参加希望の方、当日の持ち物は、長靴、軍手、・・・あと飲み物!
芋ほりは結構汗かきますので、そして焼き芋食べて水分がないと、のどにつっかえて大変ですので、必ず飲み物を持参して下さい
そして、汚れてもいい服装でお越しくださいませ

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

詳細は毎週火曜日9:00~11:00の有機朝市@アツミ宿店にて告知いたしますので、参加希望の方は、お気軽にお声掛け下さいませ(^◇^)
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ここからはイベントとはカンケーないオハナシです

何となくですが、私は芋って言うと、戦争を連想することがあります。

何でかって言うと、我が家には1923年(大正12年)生まれのじーちゃん(90)、1925年(大正14年)生まれのばーちゃん(88)がいるんですけど、2人共、サツマイモを見ると戦争の話をするからです。戦争中のことをまるで昨日のことのように話すのです。

1983年(昭和58年)生まれの私(30)世代以降って、戦争=教科書に書いてある昔のことってイメージですけど、じーちゃん達の話を聞くと、戦争ってそんな昔じゃないだなーって思えてきます
身近なオハナシを聞くと、学校で習ったことと、結構違うことがあり、おもしろかったので、じーちゃんばーちゃん戦争記を紹介いたします。

ですが、戦争の話とは言え、私のことですので、そんな真面目な話にはなりませんので、どうぞお気楽にお付き合いくださいませ。
ってゆーか、真面目に読んだらいけません(笑)
芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

さてさて、昭和18年だか19年だか、そんくらいに、じーちゃん(当時20くらい)は陸軍の兵士として中国に派遣されました。
2つくらい下の弟さんはじーちゃんよりも先に、志願兵として海軍に行って、終戦の年に魚雷に当たって戦死したそうです。
これはその弟さんが出征した時の写真です。

なんだか切ないのですが、私はこれを見て、弟さん(中央)もじーちゃんも(最後列・一番右)結構イケメンじゃねぇかと思ってしまった、ダメ孫でございます。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

その頃、ばーちゃんはまだじーちゃんとは出会っていませんでしたので、実家(豊川市牛久保)にいました。実家の農業を手伝っていたそうです。

授業では、戦争中=国民全員飢えてたって習った気がするんですが、それは都会の人だけらしく、農家は自分のところに食べ物があるので、飢えて困ったなんてことはなかったそうです。都会の人は食べるものに困り、着物を持って、お米をくれないかと度々尋ねて来たそうです。
戦争が終わってからばーちゃんがウチに嫁に来た時に持ってきた着物は、全てお米と換えたものばかりだったそうです。

ちなみに、ばーちゃんの若い頃の写真は「昔は写真なんか写しゃへん(写さない)で無いわ」だそうです。私が思うに、そこそこきれいでも、キツそうな感じのお姉さんだったんだろうと思います。今でもそのキツさは顔にモロでてますからね(笑)

昔好きだった俳優は?って聞いたら「誰が好きだったかも忘れた」そうです。でもイケメン好きなのは確かです。大河ドラマにカッコいい俳優がでると、かっこいいかっこいいってめっちゃ言います。

なのでごく最近の写真しかありません。ちなみに、空芯菜を袋に入れるのはいつもだいたいばーちゃんにやってもらっています。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

二人の紹介がテキトーに済んだところで、サツマイモの話です。

サツマイモって、肥料要らずで乾燥に強いんですが、一方で洪水などが来て、水に浸かってしまうと腐ってしまいます。8時間以上水に浸かるとアウトなんだそうです。

ばーちゃんの実家付近では、昔は堤防がしっかりした造りではなかったそうで、水害でサツマイモがダメになってしまったことがあるそうです。ちょうど戦時中のこの頃も、ダメになってしまった年があったそうです。

もったいないので、ダメを承知で蒸したそうですが、
ダメになった芋って、何時間蒸しても固くて食べられないんだそうです。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

なので、この腐った芋を供出に出したんだそうです。
供出って?

戦争中は国からの命令で、農家は収穫した作物を国民のために強制的に納めなきゃならんかったそうで、そのことを指します。

でも強制的に出せって言ったって、「自分とこの食べる分くらい取っとかにゃぁしょんない(取っておかないと仕方ない)」もんで、それほど沢山のいい野菜を提供する訳にもいかず、

家族全員による「まぁしょんないぞん」と意見の一致により、腐った芋を供出に出したら、
↓ ↓ ↓
見事に苦情が殺到し、
↓ ↓ ↓
担当職員から怒られたらしいのですが、
↓ ↓ ↓
見事に怒鳴り返したんだそうです。

これぞ元祖倍返し!?

・・でもまぁ、どこにも食べ物がないのならしょうがないと思います
ばーちゃんが怒鳴れば誰も敵いません

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

同じ頃、じーちゃんは中国で危ない目に逢っていました。

カーチスって言う怖い飛行機の爆弾がすぐ近くに落ちたのです。

飛行機に気付いたら、すぐに地面に伏せて死んだふりをするってのが軍人の常識らしいのですが、
カーチスって飛行機は気配を消して近付くので、とても怖いのです。

ーーーー「しまった!カーチスだ・・・!」ーーーー

じーちゃんはとっさにバタンと地面に伏せました

ーーードカン!!!

爆弾は容赦なく落とされましたーーーー

ーーードカン!!!ーーーードカン!!!

   ・・・・・・・・カツン・・・・・

ーーーーーー「あぁ(自分に爆弾が)当たった・・!」・・・「俺は死んだ!」ーーーーー


・・・・・・・・・・・・・・・・じーちゃんは無傷でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

じーちゃんに当たったのは、爆弾ではなく、その破片だったのです。

背中に背負ってた飯盒(はんごう)に当たって、カツンと音を立てたのでした。

ーーーーーー近くにいた兵士は撃たれました。・・・・・・

「カーチスは何十年も夢に出て来たなぁ」「最近ようやく出て来んくなったがなぁ」

ーーーー私は背筋が凍りました・・・・

この時、じーちゃんを守った力は何だったのか?そんなことは誰にも分かりません。

ただ一つ確かなのは、カーチスに撃たれてじーちゃんが死んどったら、
私はこの世におらんかったってことだけです。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

終戦間近の豊川は、しょっちゅう空襲警報が鳴り、防空壕に避難したり、防火訓練行ったり、
畑仕事なんかしちゃおれなんだ(ろくに出来なかった)ってばーちゃんは言いました。

ばーちゃんは、豊川の海軍工廠に爆弾が落ちた時、ズドンズドンと落ちる様子を、家から見ていたそうです。

家に帰ろうと逃げた人、そうではない方向に逃げた人、
沢山の人が亡くなりました・・・。

ばーちゃんのお父さんは亡くなった人の亡骸を片付けに行きました。

その方々の死に顔が目に焼き付いて眠れず、一晩中お経をあげていたそうです。

今の豊川市図書館の近くの桜トンネルの桜は、この時に亡くなった方を供養するために植えられたと聞きました

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1945年(昭和20年)8月15日、まだ知り合ってない、じーちゃんとばーちゃんはそれぞれの場所で終戦の日を迎えます。

ばーちゃんは隣の家にラジオを聴きに行きました。
当時はラジオを持ってる人なんか、村に数軒しかなかったそうです。
だもんで、ラジオがある家には村人が殺到して満員でした。

・・・で午後0時、運命の瞬間・・・・

ばーちゃん曰く、

「何言っとるだかちっとも分かりゃせなんだ(分からんかった)」そうです。

確か、授業では国民全員が神妙になり、涙を流して聞いた的な風に習った気がします。
多分そのような方も本当にいたんだとは思いますが、
ばーちゃんの話では、ただひたすらに、天皇陛下の言葉が難しくて、意味が分からんかったと、
みんな??????な感じだったって言っていました。泣いている人は一人もいなかったそうです。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

じーちゃんは陸軍兵士として派遣された中国で、終戦の日を迎えました。

昼ご飯のお米をとぎに行ったときに仲間の兵士から

「負けただげな」
って聞いたそうです。

「ほっか(そうか)・・・負けただか・・」

冒頭で紹介したすぐ下の弟は、海軍兵士として、沖縄付近の海にいました。

「よっぽど終戦直前まで生きとっただけどなぁ・・・あやぁ(あいつは)魚雷に当たって死んだだ」

海ですので、遺骨はありません。
「今でも海底をさばくれば(ガサゴソすれば)人の骨がでてくるだらーになぁ」

「まぁ(もう)1年早う戦争が終わっとりゃぁ、死なんで済んだ人が大勢あっただらーになぁ・・・・」

返す言葉も見つかりません。

当時は今のように何のメディアもありませんので、
「男はみなキン〇マ抜かれて労働でこき使われるだげな」とか、
兵士の間で色んな噂が飛び交ったそうです。

結局じーちゃんは何も抜かれず、無事に故郷に帰って来ました。

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その1年後、じーちゃんとばーちゃんは出会います。

結婚記念日は昭和22年2月3日。今年で66年ですね。

じーちゃん24歳、ばーちゃん22歳。
ばーちゃんの嫁入り道具は、お米と引き換えに、都会の人から貰った着物たちでした。

しつこいですけど、じーちゃんはキン〇マを抜かれませんでしたので、その年の終わりに父が生まれたのです。

そんでそのまた36年後に、私が生まれたのでした。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

ちょっと寄り道しますが、じーちゃんはキン〇マってフレーズが好きらしく、
やたらにキン〇マキン〇マ言います(笑)

私が子供のころ、じーちゃんは「たったったぬきのキン〇マは~♪」ってやたら歌ってくれましたので、
私の中で、たぬき=キン〇マのイメージが出来上がってしまいました。

本当に子供の頃の刷り込みってのは恐ろしいもんだと思います。

ちなみに、写真の手前、一番チビが私です。たぶん2~3歳くらいかな。すんげぇ不機嫌な顔ですね。
この孫3人の浴衣はばーちゃんが縫ったやつです

小さい頃、私は、しょっちゅう畑で遊んでいました。ブドウ畑はジャングルみたいで面白かった。
田植えのころ、水路に澄んだ水が流れると心が躍りました。田んぼの畔の草で遊んだり、オタマジャクシをとったりしました。

じーちゃんが運転するトラクターの膝の上に乗せてもらって畑に行ったこともあります。
屋根のない青空と、流れる風と、土が耕される振動、全部覚えています。

大人になり、農家になり、私は、自分一人でトラクターに乗れるようになりました。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

昔は戦争でも沢山人が死んだけど、そうじゃなくても死ぬ人がいたようです。
この可愛らしい男の子はじーちゃんの弟ですが、6歳くらいで病死したんだそうです。

当時は救急車もないので、リアカーを自転車で牽引して、旧豊橋市民病院(現ココニコ未来館)まで汗だくで行ったそうです。
自転車を漕いだのはじーちゃんです。

結局医者に見せる前、病院の門前で、ひいじーちゃんに抱かれながら息を引き取ったそうです。

彼のお位牌は家の仏壇にありますが、戦争中ですので、物がなかったんでしょうか、
小さな木にキリの先で削ったような、粗末な・・って言うといかんけど、
これで精一杯だったんだ、って感じが伝わって来ます。

お盆になると、そのお位牌を出すので、それを見るたびに何だか切なくなります。

こういう時代に自分が生きてたら、どんな感覚になるんだろう、畑行くのはどんな気分なんだろう・・・時々思うんですが、
でも、みんな不幸だったわけじゃないと思います。
じーちゃんの昔話から伝わる、昔の人は、生き生きとして、幸せそうな感じがするからです。

私は物がありふれた時代しか知らん。物がありふれて、安全ならばそれだけで人は幸せか・・・?うーんどうなんだろうなぁ・・・

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

じーちゃんばーちゃんと私、別にそう仲良しでもないです(笑)
そしてじーちゃんとばーちゃんもそう仲良くないです。正直よく離婚せんかったなぁって思うくらい(笑)

2人共、そう優しい人ではありません。私のことは誉めてなんかくれません。
昔の人はシャイだから愛情表現が下手なだけなのは分かるけど、私もそう良い子じゃないので、フツーにムカつきます。

2人共、化学肥料と除草剤が大好きです。有機農業の敵です。
2人とは農業の考え方は全く合わんし、ボロクソに言われて、私が怒って怒鳴り返したり、そんなんです。

ぶっちゃけ、じーちゃんばーちゃん好きか?って聞かれても、うーん"(-""-)"ってなります。
まぁ家族なんぞそんなもんだと思っているのです。冷たいですかね・・?

ちなみに、私が着てるピンクの着物もばーちゃんが縫いました
これは昨年の姉の結婚式の時です。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

そんでもやっぱ、2人の手は美しいと思います。よう働く手が一番美しいと思います。

手は飾るためじゃなくて、働くためにあるものだと思います。

だもんで、じーちゃんばーちゃんの手は美しい。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻
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ちなみに、2人共、野菜は全然食べません。
肉、添加物、甘いもの、大好き!そんでもこんなに長生きです。
有機農業だけでなく、マクロビオティックの敵でもあります(笑)

時々、焼肉やるぞって安くてあんま美味しくない肉をどっさり買ってくるので勘弁してほしいのです。
せめて国産のを買えって言っても、歳のせいですぐ忘れてまた同じような肉を買ってきます。
本当に勘弁してほしいです"(-""-)"

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そんでも、2人共、芋は大好きです!芋の天ぷら作ると、めっちゃ食います。
やっぱり脂っこい物が大好きなんです。
さらに、天ぷらにソースかけて食べています。
どんだけこってりさせるんだよっっ
恐るべし大正生まれ!

どんな時代でも芋はうまいのだ

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻

そして、どんな時代の人も芋は好きなのだ
・・・って勝手に決めつけてみました


芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻


あっそう言えば11月19日はみみずっこファームの芋掘りイベントじゃん!?(強引)
うちのじーちゃんばーちゃんも、みみずっこ芋は大絶賛でしたよ!!(これは本当)
「こやぁ(これは)いい芋だのん」って。

芋ほりイベントのお知らせ&イモにまつわるじーちゃんばーちゃんのオハナシの巻


どんな畑でも、顔も知らない昔の人が積み重ねてきた土があります。
その土を踏みしめて、触れて、何かを感じ取って欲しいのです。
戦時中は生きていくために必死で芋を掘ったのかもしれない。

でも今は、みんなで楽しく芋掘りしましょう(●´ω`●)
そんで、みんなで楽しく焼き芋食べましょ(●´ω`●(●´ω`●)

ちびっこ歓迎、大人も歓迎!みみずっこファームはひろいので、少しくらいオナラしたってOK!!
うちのじーちゃんばーちゃんのオナラは(姉曰く)ギネス級に長いんだぜぇ|д゚)

みなさん、レッツ芋掘り・・・なのであります!!(^◇^)


ひらまつみみずっこ





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Posted by つちのいち at 22:04│Comments(0)NEWS
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